大会の歴史(第6回~第10回) | 【公式】北海道マラソン2024

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History

第6回 1992年(平成4年)8月30日

第4回世界陸上の代表選考会を兼ねて開催。
前年の五輪代表を逃した松野明美も出場。

大会記録での優勝を飾った女子・アペル(メキシコ)と男子優勝のスカウト(南アフリカ)

 第6回大会は、翌年の第4回世界陸上の代表選手選考会を兼ねて行われたが、最大の話題は五輪代表を惜しくも逃がした松野明美(ニコニコドー)の出場だった。レースは、最高気温28度とまずまずのコンディションの中行われた。

 米国、南アフリカ、メキシコなどからの海外招待選手と国内招待選手合わせて25人を含む約1,500人が出場、過去最大の規模となった。男子はマイケル・スカウト(南アフリカ)が中間点近くでスパートし独走、2位に2分余りの差をつけゴールした。2位は打越忠夫(雪印)、3位は武田裕明(NTT東京)。女子はオルガ・アペル(メキシコ)が2時間30分22秒の大会新記録で初優勝を飾った。2位には浅利純子(ダイハツ)が入り、注目された松野は4位に終わった。

 この大会から、競技運営の裏方役のボランティアに一般公募を取り入れ、市民参加によるより一層の盛り上りがみられた。また、実況中継した北海道文化放送(UHB)の平均視聴率がこれまでの大会中継で最高の33.6%を記録した。なお、男女共に2位入賞の打越、浅利そして松野の3選手が第4回世界陸上の代表選手に選ばれた。

第7回 1993年(平成5年)8月29日

気温30度の過酷なコンディションの中、
女子は大会史上初の日本人選手(藤村信子)が優勝。

女子で大会初の日本人優勝の藤村(ダイハツ)と男子一般参加で初栄冠を手にしたゲブレ(テクモ)

 大会の約二週間前に開催された第4回世界陸上で、92年大会女子2位の浅利純子(ダイハツ)が日本女子マラソン初のゴールドメダリストに輝き、同じく男子2位の打越忠夫(雪印)が5位に入賞と、改めて本大会の評価がより一層高まる中での開催となった。

 前年の男女ディフェンディングチャンピオンのマイケル・スカウト(南アフリカ)、オルガ・アペル(メキシコ)をはじめとした国内外の招待選手24名と一般参加選手の総勢1,500名が札幌を駆け抜ける「夏マラソン」に挑んだ。

 レース当日は、スタート後、徐々に気温が上昇し、後半は真夏の太陽が照りつけ気温は30度に達した。その過酷なコンディションの中、女子では、前半日本人最高記録を上回るハイペースで藤村信子(ダイハツ)が抜けだし、後半苦しみながらも独走で大会女子初の日本人優勝を飾った。記録は2時間33分10秒。2位には、ウクライナから参加のリュボフ・クロチコが入った。男子は、タデッセ・ゲブレ(テクモ)が30km過ぎからスパートし、招待選手をしり目に一般参加ながら初栄冠を手にした。

 2位には、ゲブレの同僚であるギルマ・ウルゲ(テクモ)が同じく一般参加で入り、男女とも将来有望な選手が誕生したレースとなった。

第8回 1994年(平成6年)8月28日

完走率が過去最低を記録した熱暑の中での戦い。
男子は一般参加のエリック・ワイナイナが優勝。

猛暑のなか、優勝したワイナイナ(コニカ)と2年ぶり2度目の優勝の女子・アペル(米国)

 かつてない猛暑が日本列島を襲い、札幌市も例外ではなくスタート時にはすでに気温は30度を超え、まさに熱暑のなかの闘いとなった。完走率も74%と過去最低を記録し、選手にとっては過酷なレースとなった。

 レースは男女ともスタートからスローペースで、男子はもっとも期待された川嶋伸次(旭化成)は35km近で棄権、田幸寛史(エスビー)も16位、結局一般参加選手のエリック・ワイナイナ(コニカ)が2時間15分03秒であっさり優勝をさらってしまった。また、女子は昨年8位と不本意な結果に終わったオルガ・アペル(米国)が’94ロスマラソン優勝の実力をまざまざと見せつけ、昨年の雪辱を果たした。

 今大会から国際化を目指す一環として、コース計測をAIMS方式に移行、さらにゴール計時では従来の手動式と共にRECS(ランナーズ・イベントコンピュータシステム)を導入した。

第9回 1995年(平成7年)8月27日

アトランタ五輪の代表選考会を兼ねて開催。
女子は3年ぶりにマラソン出場の有森裕子が復活優勝。

マラソン初優勝でアトランタ五輪のキップを手にした有森(リクルート)と2年ぶり2度目の優勝を果たしたゲブレ(テクモ)

 翌年のアトランタ五輪の代表選考会を幕ねて行った第9回大会は2,342人がエントリーし、2,061人がスタートラインに立った。

 レースは、バルセロナ五輪で銀メダルを獲得して以来3年ぶりのフルマラソンを走る有森裕子(リクルート)が参加し、日本中が注目する中スタート。その有森はスタートからオーバーペース気味で飛び出したが、終始独走。レース終盤に降り出した雨の中、最後まで後続を寄せつけず2時間29分17秒の大会新で優勝し、見事な復活劇で日本中を沸かせた。

 男子は、’ 93年の世界選手権2位のルケッツ・スワルトブーイ(ナミビア)が足の血まめで35km地点で棄権。比嘉正樹(資生堂)を40km過ぎに徐々に引き離したテクモのタデッセ・ゲブレが2年ぶり2度目の優勝を果たし、弟のブルック・ベケルと兄弟でワンツーフィニッシュを飾った。期待された田幸寛史(ヱスビー)は6位に終わった。

 今大会では、第1回から協賛していたサントリーがメインスポンサーを降り、新たに武田薬品工業がスポンサーとなった。また、北海道初の女性白バイ隊「ノースウィング」がレースを先導したことも話題となった。

第10回 1996年(平成8年)8月25日

記念の10回大会は97年世界陸上の代表選考会を兼ねて開催。
男子はブルック・ゲブレ、女子は安部友恵が優勝。

2年7カ月ぶりのマラソン優勝で世界陸上代表へ大きくアピールした安部(旭化成)と男子優勝のベケレ(テクモ)
’96北海道マラソンの大観衆の歓迎を受けるアトランタオリンピックの銅メダリスト・有森裕子選手

 ’96年のアトランタオリンピックで、女子は前年の北海道マラソンで代表を決めた有森裕子が銅メダルを獲得、女子陸上初の複数メダル獲得という快挙を成し遂げた。男子でも94年に北海道マラソンで初マラソン初優勝を飾ったエリック・ワイナイナがメダリストになるなど、夏マラソンとしての北海道マラソンを経験した選手が強さをみせた。

 さて、記念すべき第10回大会となった ’96北海道マラソンは、’97世界陸上の日本代表選手の選考を兼ねて開催された。大会当日は、後半に気温が30度を超す過酷なレースとなった。女子は佐藤千春(リクルート)が30km過ぎから集団を抜け出し、安部友恵(旭化成)が後を追う展開となった。その後、ペースの落ちた佐藤をとらえた安部は35km付近から独走でゴール。2年7カ月ぶりの優勝で世界陸上代表へ向けて力強くアピールした。男子では期待された川嶋伸次(旭化成)が、後半外国勢のスパートについていけず4位。昨年優勝のタデッセ・ゲブレの弟、ブルック・ベケル(テクモ)が優勝テープを切った。

 今大会は10回大会という筋目を迎え、記念イベントも数多く組込まれた。大会運営に多大な協力を頂いた道警機動隊と小掛陸連副会長、また大会記録を持つ谷口、有森両選手への特別表彰や道警機動隊に対する白バイ6台の寄贈は大きな話題となった。「高石ともやトークショー」、記念グッズ販売でも大会を盛り上げた。

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