大会の歴史(第11回~第15回) | 【公式】北海道マラソン2024

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History

第11回 1997年(平成9年)8月31日

気温34度の猛暑の中での開催。男子は佐々が2位と健闘。
女子は市民ランナー出身の小倉(現田中)千洋が優勝。

34℃の過酷なレースを制した、3年ぶり2度めの優勝のワイナイナ(コニカ)とフルマラソン初優勝の小倉(現田中)千洋(和光証券)

 11回目を迎え、新たな歴史へ第一歩として踏み出した今大会では、気温34度の猛暑の中での戦いとなり、スローペースでの展開を余儀なくされた。男子では前年のアトランタオリンピック銅メダリストのエリック・ワイナイナ(コニカ)が会心のレース運びで’94大会に引き続いての優勝を手に入れた。不調にあえぐ日本男子マラソン陣にあって、今大会2位に食い込んだ佐々勤(京都大学)の見事な走力は新人とは言い難く、一脈の光を見い出してくれた。

 一方、その層の厚さを世界に誇る日本女子陣の一角にまた新たなヒロインが誕生した。市民ランナーから、マラソンをはじめた小倉千洋(和光証券)が、大舞台で見事にフルマラソン初優勝を果たした。

 前年のアトランタパラリンピックマラソン(全盲の部)で優勝の柳川春己の参加、RCチップ方式の採用、スタート会場でのバルーン係留など話題の多い大会であった。

第12回 1998年(平成10年)8月30日

気温21.2度の好コンディションの中、男子はアンベッセ・トロッサが大会新記録で優勝。
女子は山口衛里が制す。

ともに大会記録で優勝を飾った男子・トロッサ(テクモ)と女子・山口(天満屋)

 大会直前に台風5号が本州を直撃した後、道東にも被害を及ぼし、参加者減が心配された。しかし、全国の主要な大会が軒並み参加者減となっているなかで、台風にも関わらず全国からの参加者数は伸び、この大会にかける参加者の意気込みを見せた。

 当日は朝方の小雨も正午にはあがり、平均気温21.2度、ほぼ無風に近く、夏のマラソンとしてはかつてないほどの好コンディションに恵まれた。沿道では多くの観衆が熱い声援を送った。

 このような好条件を受けて、大会では好記録が生まれた。男子は、日本での初マラソンとなる弱冠21歳のアンベッセ・トロッサ(テクモ・国籍エチオピア)が後半から独走。大会記録を3分以上縮める2時間10分13秒で優勝した。また、3年間のスランプを脱出した比嘉正樹(資生堂)が2位入賞を果たした。女子は山口衛里(天満屋)が、北海道マラソン3回目の挑戦でマラソン初優勝。2時間27分36秒の大会記録だった。’96北海道マラソン優勝者の安部友恵(旭化成)は2位。男女共の大会記録により、このコースにおいても条件がそろえば、2時間1桁台のタイムが十分にあり得ることを証明する大会となった。

 今大会からバーコード読取りによる完走証の出力システムが導入された。

第13回 1999年(平成11年)8月29日

過去最高の約3,500人が参加。男子は一般参加の松本、女子は初マラソンの松尾が優勝。
男女とも日本人選手が優勝したのは大会初。

 ’ 99北海道マラソンは、新企画として交通遺児チャリティー、応援バンドなどを実施。エントリー数は過去最高の3,533名となった。

 スタート時の天気は曇り、気温は25度。道警音楽隊の軽やかなマーチ演奏の中、3,096名がスタートした。男子は、一般参加の松本政大(NTT西日本)が大会歴代2位のタイムで逆転優勝し、女子のレースでは、初マラソン勢が上位集団に食い込む中、安部友恵(旭化成)の必死の追い上げを振り切って天満屋の松尾和美が初マラソンでの優勝を飾った。男女とも日本人選手が優勝したのは大会初である。

 沿道では多くの市民が声援を送り、小学生の応援バンドが花を添え、チャリティー募金ボランティアが募金を呼び掛けた。チャリティのシンボルランナーとして有森裕子がタケダファミリーマラソンに出場。谷口浩美、谷川真理が本マラソンに出場し、大会後のフェアウェルパーティーでのチャリティオークションなどでもご協力いただいた。

 オークションでの売り上げ、大会参加料からの募金を含めて330万円を超える善意が寄せられ、北海道交通遺児の会、交通遺児育英会へ贈呈された。

第14回 2000年(平成12年)8月27日

男子はディオニシオ・セロン、女子は市河が優勝。
猛暑の中、完走率は過去最低の64.1%。

 気温30度の炎天下、2,790名が真駒内屋外競技場をスタートし、予想どおりの過酷なサバイバルレースが展開された。男子では、スローペースでの戦いのなか、海外招待選手のディオニシオ・セロン(メキシコ)が冷静なレース運びで復活優勝を果たし、女子では三井海上の市河麻由美が後半の独走体制を貫き、32分台の好タイムで栄冠を手にした。“猛暑の戦い”は、早めのリタイヤも多く、結果として完走率64.1%と過去最低を記録した。

 交通遺児チャリティーでは、シンボルランナーとして谷川真理がタケダファミリーマラソンに参加。チャリティー抽選会、参加者からの募金、沿道での募金により約200万円が寄せられた。

第15回 2001年(平成13年)8月26日

男子は佐々、女子は1年9ヶ月振りのマラソンの千葉が優勝。
完走率は過去最低の61.3%。

 冷夏の札幌だったが、大会当日は予想に反し、気温30度、湿度55%〜70%と2年続けて過酷な条件でのレースとなった。スタート数2,883名に対し、完走者は1,761名。途中棄権者は1,100名を超え、完走率は過去最低の61.3%にまで下がった。

 レースは、過去に本大会で2位、3位の実績を持つ佐々勤(旭化成)がゼベダヨ・バヨ(タンザニア)を逆転して初優勝、暑さへの強さを強烈にアピールした。女子は1年9ヶ月振りのフルマラソンとなる千葉真子(佐倉アスリート倶楽部)が前年優勝の市河麻由美(三井海上)を抑え、復活の優勝を果たした。

 また、15回大会を記念してこの年から新人賞の規定が設けられた。

 3回目となった交通遺児チャリティーでは、参加料の一部、沿道での募金など約155万円が寄せられ、北海道交通遺児の会、交通遺児育英会に寄付された。

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